三億円ほしい
自分はいったい何歳で死ぬのかと、最近よく思う
先の事など誰にも解らない
もし知っていると言うのであれば、ソイツはもはや人間では無い
神だ、そう神…
もしそこに居るのだとしたら、その偉大なる力で私を億万長者にしてくれ
私を石油王にしてくれ…
とにかくお金持ちになりたいよお
まあそんなことはどうでもいいのですが(よくないけど)
もしかしたら明日交通事故で死ぬかもしれないし、何事もなく毎日が過ぎて、気づけば100歳になっているかもしれない
その未来というのは誰にも解らないのだ
人間というのは不公平である
誰にでも平等に与えられたはずの命
それが尽きる時は、決して平等では無い
生きたくても生きられなかった人もいれば、死にたいと思いながら長生きする人もいる
自分の思い通りにはいかない
そうこの世は全てが不公平なのだ
不公平と言えば話したい事は山程ある
例えばテレビを見ていて思う
何だこの顔立ちの整った人間は?
その人間の顔についている目も口も鼻も、間違いなく私と同じはずなんだ、機能的には
それなのに?は?何でそんなに顔が良いの?は?殺すぞ
ありえません、不公平です、理不尽です
この案件につきましては、話し出すとキリが無いので燃やしておきますねジュー
『あなたは××年×月×日に死にます』
もしそんな予言があれば、少しは生きやすい世の中なのではないか
だが自分の死と直面する日が解っているのも、あまり良いとは言えないのかもしれない
死ぬ日の為に生きているなんて、気が狂ってしまう可能性もある
そう考えれば、予言などいらないのだろうか
だが、そうだとしてもある程度の時期だけは把握しておきたいと私は思う
死亡時期が解れば、それに合わせて人生設計を立てることが出来るからだ
自分がいつ死ぬのかという疑問に伴い、私は将来の事が心配で仕方が無い
何がって、もうそれは金の一言に尽きる
つまり何が言いたいのかというと、三億円がほしい
三億円が!!!ほしい!!!
ある日の仕事中、私は電卓を片手に計算をした
月に20万円、あと80年生きるとして…
20万円×(80年×12ヶ月)=1億円2900万円
…つまり三億円があれば、一生楽して暮らせるどころか、一億円おまけでついてくるのだ
え、とんでもねえな…
夢のある話だ、最高
当たれ宝くじ、そして私に楽をさせてくれ
残りの一億円、それに関しては田舎にでかい家を建てようと思う
周りには土砂崩れの心配の無い山があっても良い(海が見える街も悪くないが)
そして私はそこで静かにひっそり暮らしたい
家庭菜園でもしながらね